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2011年3月

2011年3月30日 (水)

我が家の問題

テレビで見る限り、東北の道路も復旧しつつあるようです。これからどんどん物資が運ばれて、復興が急ピッチで行われる事を祈るのみです。

福島の原発のニュース。一難去って、また一難。ここ数年、毎年訪れていた福島。私の大好きな福島が、今、とても大変な事になっているのです。今年の秋には、旅行に行きたいのですが、どうでしょうね・・・

我が家には、今、ある問題が発生しています。

それは・・・次男坊「栗太郎」の激しすぎる小哲への感情

いままでも、ブログで何回か書いてきた栗の過剰な行動。今までずーっと笑って見ていたけれど、どうやら栗太郎のこの行動は「パニック障害」なのだということが分かったのです。

先日、ちょっとした事で、小哲が動物病院にかかる事になった。小哲は、なんともなかったのですが、「栗ちゃんは、何か気なる事はないですか?」と質問された。

夫と目が合う・・・

「あのー、これは病院に相談することがどうかわからないのですが、ちょっと困っている事があって・・・・これを見てください。」

といって、診察室の中で、小哲を栗太郎から引き離した。

案の定、「ギャー!!!!ギャイン、ギャイン!」と前のめりになり、大騒ぎが始まった。

びっくりしたような顔の院長先生

「これは、おそらく治療の域だと思います。今、犬の問題行動に詳しい獣医に代わりますので、ちょっとお待ちください。」との事。

問題行動・・・やっぱりそうか・・・

若い男の先生がやってきて、栗の状態を確認。

やはり、治療の対象だという。

そして、栗太郎の生い立ちや、今までの行動、ご飯の内容、遊び方、普段の生活ぶりなどを詳しく聞きたいので、問診票を作ってくれるとの事。

その問診票を一週間後に取りにいった。

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「林栗太郎ちゃんの問診票」と書いてある。

合計12枚もある問診票には、記入する所がたくさんあった。

我が子の事です。びっしりと書きました。聞いていない事まで、びっしりと・・・

何枚目かの質問に「あなたがこの犬の問題についてどの程度の覚悟を持っているか教えてください。」というものがあった。

「気軽な気持ちで来院しました。問題行動が治らなくてもかまいません。」から始まるのですが、最後には「この犬の問題は、私にとってとても重要です。もし、治療によって治らなかった場合は、この犬を手放すか、安楽死を望みます。」という深刻なものまである。

そんな!ヒドい!って思ったけれど、日常の生活で「飼い主と目があっただけで襲ってくる」「近寄るだけで噛む」などという項目があるのだから、深刻な人もいるのだろう。

私は、「この問題はとても深刻ですが、治らなくても飼い続けます」に大きく丸をして、それだけでは気が済まないので、「何があっても我が子です。どんな事があっても最後まで面倒をみます!」と書き加えた。

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この問診票を書くのに2時間ほどかかった。書いた後も、あれもこれもと、今までの出来事を思い出して、裏面にまでびっしり書いて提出した。

今後、栗の治療方針が決まる。

「パニック障害」 ただし、リードがついた状態で、外で小哲と離れた場合のみ

はどんな治療が待ち受けているのだろうか。

がんばろうね、栗太郎。

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だから、小哲の頭に座らないのっ!

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2011年3月26日 (土)

地震の後から

11日の大地震が来てから、長男、小哲は私の傍から離れなくなりました。

どんなに夜遅く仕事をしていても、後ろのソファに丸くなって待っていてくれます。

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寒いので、かい巻きの毛布をぐるっと丸めて置いておくと、その中にスッポっと入って待っててくれます。

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いつもはボーっとしているのに、さすがに怖かったのかなぁ・・・・

東北の復興は進んでいるのでしょうか。

八戸の光星高校が春のセンバツ高校野球で一回戦を突破しました。

避難所のおじさんが「すごく力をもらった。もうウジウジなんてしてられない!早く仕事しなくちゃな」って言ってました。若い力に感謝です。同じように被災地だった茨城の水城高校の分まで頑張ってね。

キルトパーティも本日、WEB限定販売の配信をしました。こんな時に、「生地はいかがですか?」なんて、脳天気にって思う方もいらっしゃるかもしれませんね。

私達も悩みました。

でも、私達も大きな地震を経験はしましたが、被害は小さかったのです。誰一人怪我もせず、会社も問題ありません。

停電があって、ちょっと不自由はしますけれど、被災地の方に比べたら、文句など言えません。

元気な所が元気に仕事をする事。

きっとそれが早期復興につながるんだと信じて仕事をしていきます。

近い将来、被災地にバッグを作って送ったりできるような企画も考えたいな。

きっと、着の身着のまま逃げた人もたくさんいるはず。

ちょっと可愛いバッグがあったら、気持も少し明るくなれるかもしれない。

みんなで考えますね。

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2011年3月22日 (火)

伊達ちゃん

こんな時ですが、私は大変なお笑い好きです。

中でも飛びぬけて好きな芸人さんが何人かおりまして、サンドウィッチマンさんもその中の一組。

彼らは仙台市の出身。そして、地震の時も気仙沼でロケをしていて、津波から何とか逃げられたのです。

金髪の伊達ちゃんのブログを読んでいたら、復興に向けて毎日力強いメッセージが書かれて、数日前には「東北魂」という名義で、義援金の募集を始めていた。

彼の東北を思う気持ちに打たれて、大変に微力ではありますが、本日、義援金を振り込んで参りました。

八戸で被災した漁業のおじさんが、会社も家もなくなって、毎日どうしたらいいべって、とにかくボンヤリするしかねぇって言っていました。これまで八戸の経済を支えてきた方達に、悲しい思いをさせたくはないです。

今の私に出来る事の一つ。伊達ちゃん、お願いしましたよ。

被災地の皆さん、一つずつ前進して行きましょう。きっと、今日よりは明日の方が良くなる。

こちらも計画停電などで、いつも通りには業務ができませんけれど、元気な地域が元気に、普通に仕事をして、日本の経済を支える事も支援につながる気がしてきました。

なので、私は頑張ります。

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2011年3月17日 (木)

寒いですね

まだまだ余震が続いていて、小心者の私は、その度にドキドキします・・・

そして、今日はまた、一段と寒い。

被災者の皆さんの寒さを考えたら、暖房でヌクヌクとなんかしていられないな。

何ができるのかわからないけれど、出来る事からしなくては・・・

とりあえず、節電から。

テレビを見るのをやめました。

地震のニュースは、心が痛くてとても見ていられないし、楽しい番組にしたところで、全然楽しい気持ちにならない・・・

日本人が心を一つにして、被災者のために頑張らなければならない時、停電にしたら苦情の電話が殺到したと言います。なんて、残念な事、なんて、腹立たしい事。

夜は、湯たんぽを抱えながら、縫い物の仕事をします。

寝る時は、愛用の電気毛布をやめて、小哲と栗太郎を抱えます。ちょっと窮屈ですが、暖かいし、彼らの寝息にちょっとホッとします。

少しでも被災地に電気が届いて暖房を入れてあげて欲しいです。

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2011年3月15日 (火)

無事です

11日の大地震。

これまでに経験のない大きな揺れに、思わず、「パパ、助けて!」と声が出た。

いつもは、お線香もあげていないくせに・・・5年前に亡くなった父に初めて助けを求めてしまいました。

とても幸いな事に、斉藤謠子はじめ、キルトパーティのスタッフは、誰ひとり怪我もなく、無事に避難する事ができました。斉藤謠子は、本日、講習会のため、イタリアへ飛びました。

テレビを見る度に、あまりの被害の大きさに胸が痛みます。

何か出来る事はないのかと、いたたまれない気持ちになります。

私も東北出身者。東北の人は、我慢強いと言います。自分もそう思います。

でも、限界はあるものです。

一刻も早く、救助の手がさしのべられる事を心から祈っております。

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2011年3月 9日 (水)

いい加減に・・・

ここの所、大変忙しい・・・

そのため、ブログの更新ができず、なかなか台湾話が終わらずにゴメンナサイ

それに加えて、日曜の夜からウイルス性の胃腸炎に罹り、熱を出して、ここ数日お休みしてしまったいい加減に台湾から帰ってこなければ・・・

と言うことで、急にかいつまんだ感じで帰国までのお話

2日目の夜は、お鍋を食べに行きましたここには、11月にもやってきて、幻のカスタード巻を食べた所酢漬けの白菜に豚肉やら、エノキ、イカ団子などを入れてグツグツし、基本、ポン酢とゴマだれをミックスしたようなタレをつけて食べますこの煙突のついた鍋は、一体どんな仕組みになっているのか分かりませんが、炎は一切見えないのに、グツグツとすごい勢いで煮えたぎっております

お店のぽっちゃりしたお姉さんが、凄い勢いでみんなの後ろに入り込み、大声で「お前たち、窓を開けないと、一酸化炭素中毒で死ぬぞ!」と言いながら窓を開けた。

中国語で全然わからないけれど、絶対にそう言っている・・・

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お店の人は、ほとんどの人が中国語しか話せない。何とか一人だけ英語のできる可愛いお姉さんを見つけて、ここまでの注文は何とかなった。

頼んだはずのビールが、待てどくらせどやってこないアクシデントがあったものの、何とかビールも届いて、食事も楽しく進んでいる。ここで、楽しみにしている事がった。それは「紹興酒」

台湾では、紹興酒を氷を浮かべたロックで飲んだりする事はなく、必ず温めて、しかも、レモンか生姜を加えて飲むのだ、と11月に習った

それなのに、紹興酒を頼んだら、ぽっちゃりお姉さんが瓶ごとテーブルにドンと置いて行った温めてくれ、そして、レモンと生姜を下さいと頼んだら、「レモン、ジンジャー、レモン、ジンジャー、レモン、ジンジャー」と念仏のように唱え始めた。

またまたとてつもなく時間がかかって紹興酒はやっとの思いで温められたのですが、しかし、一向にレモンとシンジャーはやってこない・・・

どうなってるんだとみんなに突っ込まれた挙句、ぽっちゃりお姉さんが持ってきたのは、なんと大量の「氷」

どうしたいんだ

温めたいのに冷やしたい。そんな我儘な日本人じゃないのよ、私達

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結局、レモンはもらえたけれど、ジンジャーはもらえないまま・・・

幻のカスタード巻きなど食べられるはずもなく、食事は終了ま、美味しかったし、これも後から考えれば笑い話です

この後は、またまた二組に分かれてマッサージへと向かいます

今度こそ!の思いで、私は6名を引き連れてマッサージ屋さんのドアをくぐった

昨日は満員で断られてしまったけれど、ラッキーな事に今回は誰もいない6名でもOKだという

しかし、これからマッサージ師達を呼び集めるので、ちょっと待って欲しいとの事

はいはい。ちょっとくらいなら待ちますよ~。

少しすると、バイクで次々とマッサージ師達が集まってきた斉藤謠子はじめ、大御所様達から始めてもらい、私と船本が最後まで残った。どんなシステムになっているのだろう?マッサージは副業なのか?・・・電話で連絡を取っているものの、なかなかつかまらなかったり、どうやら断っている感じの雰囲気も感じられる

めっちゃ可愛い子が二人待ってるとでも言わんかい

待つ事、20分。やっと、私達のマッサージ師が見つかったので、二人一緒に部屋へと案内され、着替えをして待っているようにと言われた。

着替えをして待っていると、雨合羽を来た、小さなオジサンが入ってきた。

そして、入ってきたと思いきや、雨合羽を着たまま、私の背中をグイグイ押し始めた。

せめて、合羽は脱ごうか、オジサン・・・

時々オジサンが「ふふふ・・」と笑うのは、なぜだろう?

私達の年齢不詳な感じがおかしいのか?それとも、船本のマッサージ師がまだ来ないのがおかしいのか?それとも、自分が二人を一緒にやるつもりで、半身ずつやったら笑えるなーなんて、想像しちゃって笑ってるのか、全然理解できないけれど、取りあえずマッサージは気持ちいい

そうこうしているうちに、船本のマッサージ師もやっと到着

かなり痛いけれど、一日中寒い中を歩き回った体には、とても効いた

これで台湾でやりたい事は全部終了。

日付は変わって、後は帰国を待つばかり

その前に

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洋服屋さんの「a la sha」へ、また行きたいという声が多数。まだまだ元気いっぱい

何時からオープンなのか確かめに行くと、12時OPENとの事。

それまでは、もう一度マッサージを受けに行く者、フラフラと街中を散策する物に別れ、12時に「a la sha」集合。またまた、買い物三昧

お昼ご飯には、「鼎泰豊」の支店に行ってみた。

本店の時にも思ったけれど、ここのホールで働く女の子は、とんでもなく美人どの子もハッと目を引くような美人なのだ

そして、征服のミニスカートをきちんと着て、中国語と片言の日本語、英語で接客している。

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そんなとんでもなく可愛い店員さんが「まんじゅう9個?8個?」と聞いてくる。じっと見つめられるとこっちが恥ずかしくなる程、可愛いのです

おばちゃんは、まんじゅうを8個頼みたいだけだから、そんなに見つめないで・・・・

最後にたらふく食べて、これでもう心残りなんかないわ

松山空港に到着し、後は飛行機に乗るだけ

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夕方になり、機内食が配れらたけれど、これは、イマイチだったな・・・

そして、皆様、台湾のお話は最後になりましたが、船本の荷物が気になりませんか?

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暗くてよくわからないかもしれませんが、台北でトランクを買い、誰よりも大きな荷物となって、羽田に到着しました。

こういう手があったのか

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